美容整形と変身願望

誰もが一度は思い描く変身への願望。分析すれば様々でしょうが、結局のところ、現在の自分に何らかの不満を抱いている人が多いのだ、ということになります。あるいは退屈、鬱屈でしょうか。それが卑屈にまで成り下がればストレスはとどまるところを知りません。何か気の晴れることが無いか。そこで様々な娯楽や文化が編み出されたわけですが、服飾とメーキャップを始まりとした変身の楽しみを掘り下げると、これは神への憧れに行きつくという説もあります。一方、美容整形のひとつの理念として、イデア的理想美に近づこうというものがあります。これは決して偶然の符号ではありません。

美容整形という言葉を分解するまでもなく、その出発点には「美容」という概念がありました。美しくなりたいと願う心は神と理想への憧れであると同時に、異性にアピールしたいという動物的本能に根差すものでもあります。つまり野生と理性の両方が、美の探究には存在するのです。遠くはエジプト文明の壁画に、女王専属のエステティシャンが描かれていることからも、美の追求は人間の根源的欲求であるようです。

美しくなりたいという願いはまた、美しい人に憧れるという人間のメカニズムに基づくものです。生物学的には、種族保存と適者生存に向かう本能の表れとして、メスはより美しく強いオスに憧れ、オスもまた美しく健康なメスを欲するという絶対的な性質を生み出しました。太古の生物から現在の人類にまで受け継がれた本能ですから、これはもう逆らいようがありません。先天的に美しいものは幸いですが、世に絶対というものが無い以上、誰しもが常に何らかの不満を抱えざるを得ないというわけなのです。そこで目標達成への努力として美容術が誕生し、美容整形という新技術が研究されてきました。

単純で初歩的な変身願望の成就は衣装をまとい化粧を施すことで成されます。ですが裸の自分をさらすとき、むき出しの個を自信満々で顕示できる人は稀でしょう。もう少し身長が高ければ、あるいはその逆であれば、といった悩みは、残念ながら現在の技術ではどうしようもありませんが、容貌体格に関するそれ以外の悩みは、美容整形によってすでにほとんどのものが解決可能なのです。思えばすごいところに来ているのですよ。

先頃亡くなった米国のトップアーチストの場合、そのキャリアのほとんどを飽くなき美容整形に費やすという、あきらかにマニアックな行為に没頭していたようです。彼の場合は最初の美容整形で充分美しかったのですから、これはむしろ変身願望というよりも、自己破壊衝動の方が強かったのではないかという研究者もいます。つまり特殊なケースであって、一般的な変身願望についてのサンプルとしては不適であろうということです。いずれにしても本来の美容整形は、もっと健全で建設的なものだと確信します。