美容整形のクリニックに若い世代のユーザーが大挙して押しかけ、プチ整形を望むようになったわけですが、ドクターたちの信念は揺るぎませんでした。むしろこれまで以上に、事前診察とカウンセリングに力を入れ、彼女たちと共に理想の美を探究するようになったのです。それがここで言う、自然な美しさであり、ナチュラルな個性の表現なのです。顕著な例でご説明しましょう。
高校生のBさんの場合、元々目元が腫れぼったく、上瞼が垂れ下がり気味でした。そのため授業中よく先生から「眠たいの?もっと集中して!」などと注意されることがしばしばであり、友人からも、何を考えているのかわかりづらい、と半ば敬遠され気味だったのです。そうした状況が彼女をますます引っ込み思案で陰気な性格にしてしまっていたのでした。そんな自分が、Bさんは嫌でたまらず、思い切って両親と相談した結果、美容整形の門を叩き、成長期でも影響の少ないプチ整形を受けたのでした。
プチ整形によるリフトアップで上瞼はぱっちりと開き、ヒアルロン酸注射などの効果もあって全体の顔立ちがはっきりとしてきました。ただし美容整形のドクターは元々のBさんの骨格を尊重して治療を行っていますから、本来のBさんの顔立ちから決して逸脱した容貌ではありません。むしろBさんの個性が際立ち、長所が引き出されたと言えるでしょう。夏休み明けに再会したクラスメートの誰もが「お化粧変えた?」「なんだか明るくなったね」などと言ってくれます。
ここで美容整形のドクターが目指したのは、Bさんの本来の個性・長所を伸ばす治療であり、彼女が生まれつきそうだったかのような、自然で違和感のない美しさでした。まだ若いBさんですから、本当の個性や魅力は今後の彼女の生活の積み重ねによって伸びていくのです。その基礎となる「自信」を植え付ける作業がプチ整形でドクターが受け持ったことだったと言えるのではないでしょうか。
例はプチ整形でしたが、こうした理念は本格的な外科手術にによる美容整形においてもまったく変わるところはありません。その自然さ、馴染み深さを保った美しさは、友人ばかりでなく、親兄弟、親戚の人たちにもまったく違和感なく受け入れられる類のものなのです。それはなぜなのでしょうか。それは、美容整形のドクターが目指す理想の美というものが、治療を受けるユーザー本人が毎日鏡の中に見ているはずの「理想の自分」に近づくことを基本にしているからではないでしょうか。